ダニエル・クレイグ祭り
世間はどうやらお祭りらしいですね。
恋人と一緒にディナーやらイルミネーションやら鑑賞しているでしょうね。
「キャーキレイー」とか。
「君の瞳に乾杯」とか。
「今夜は帰さないZE☆」とか。
いちゃいちゃあまあまな聖夜(意味深)をお過ごしなんでしょうね。
……
クリスマスがなんぼのもんじゃい!!!!!
そうやって一緒に遊びに行くような相手のいないもるげんは、家で一人延々と映画を見て過ごすクリスマスですよ~う。
さびしくないですよ~う。
ぐすん。
とまあ、今日見た映画「カジノ・ロワイヤル」「慰めの報酬」「ドラゴンタトゥーの女」の感想をば。
なぜかダニエル・クレイグ祭りとなりました。
007は興味があったんですが、なかなか見るのに手を出せなくて。
長々と続くタイトルですので、何処から見ればいいか分からないっていうのが本音。
友人たちからのアドバイスで「ダニエル版から見るといいぞ」と言うことでまずはこの2本を借りてきました。
ま、007は有名過ぎていろいろ定番があるのは知ってました。ボンドカーとか、Mとか、ボンドガールとか、秘密道具とか。まだまだあるんでしょうけど、自分の知っているのはこれぐらい。
実際見てみると、「あ、これほかの映画とかでも見たことある感じ?」みたいなところがあるある。キングスマンとか、UNCLEとか(自分の見たスパイモノってこれぐらいしかないが)。そういう懐かしい感覚は、きっと逆なんだろうなーって。つまり、それらは全て007から始まっているのだろうなと。彼が紡いだスパイモノという看板を、みんなが一緒に背負っている、みたいな感じがする。
と、そんな所感はさておき、本編自体の感想としては、「面白い」の一言に尽きる。
とにかくアクション。銃撃にカーチェイス、カジノロイヤルの冒頭で雑多な街中でのチェイスとかほんと胸が熱くなる。やっぱ南米やアフリカを舞台にするならこういうシーンが欲しいですよな!分かってらっしゃる。こういうビッグタイトルは奇をてらうよりも、王道中の王道を、堂々とド派手にやってほしい。007はそんな王道をズンズン進んで行く気持ちよさがある。
……べ、べつに諜報部員がこんなにド派手に立ち回っちゃいけないとか、思っていませんから(そういうのは潜入スパイ映画とか、MGSの役目
そしてボンドガールのエロさ(耽美さ?)。アクションの熱っぽさとは違う、まるで蝋燭のような過激でしかし儚い熱が物語を盛り上げる。僅か一夜限りの関係なのに、だからこそ燃え上がるセクシーなシーン。ボンドもセクシー。えっちすぎます。
そして燃え上がるからこそ、その終わりがまた物悲しい。ボンドガールが散っていくのは、灯の立ち消える瞬間のようで。
とまあ、全体の自分の印象はこんな感じです。
次はもうちょい突っ込んでみてみる。
「カジノ・ロワイヤル」、まさにシリーズ第1作としてお手本のような作り。ボンドの人柄、英国や政府での立ち位置、ボンドガール、ボンドカー、秘密道具、速攻身分割れ、ボスとのバトル、拷問、そして、別れ。
この007がどんな007なのか、見ている側に「こういうボンドだからね!」と告げてくる。それでいて全編通して中だるみも少ないし、物語自体もこの話だけで完結できているのが脚本やシナリオの完成度の高さだなって感じた。それでいて、続きへと容易に繋いでいくことも、これはなかなか難しいことなのにやってのけるのがすごい(繋げることと単体で独立させることは矛盾はしないけどこれはすごく難しい。自分も物語を書くからこの難しさは理解できている、つもり)。
そこから続く「慰めの報酬」は、これももちろん一本として独立してはいるが、完全に前作と地続きである以上、「カジノ・ロワイヤル」を見ていないと楽しめない。ていうか、見ないとこのボンドを理解できない。
愛するものを失ったボンドが、その手がかりとなる敵を(多分誤ってもあるが)殺してしまい、ボンドは大目玉。それでも彼は進み続けるしかできない。
そんな彼の心情をまざまざと描いたのが、この「慰めの報酬」だ。いや、これは面白い。単体でもいいが、「カジノ」とセットで倍率ドン。
と言うのも、ボンドが諜報部員として殺人をこなしながらその手で女と寝、軽口を叩くという、ある種の奇妙さ、人間としての破綻性を見つめている(ダニエル版以前でも描かれてるかもしれないけれど、自分はこれが初めてなのでご愛嬌)。「カジノ」でも、ボンドに人を殺すことへの問い掛けはあった。その答えは「仕事だから」である。
きっと、この考察は幾人もの人がしているが、自分もあえて同じことを言ってみる。ていうか、大部分は伊藤計劃の受け売りだけど。
彼の性格は、刹那的な享楽主義者。ただ目の前の快感にしか実感を求められない。たとえ女と寝るのも、それは瞬間的なモノであり、仕事であるという理由かもしれない。
だが一方で、ヴェスパーは違う。彼女とは寝る必要がなかった。衆人の前での演技は必要でも、寝ることに彼女は快感を見出さず、彼も必要にはしていなかった(寝たかったかもしれないが)。カジノ・ロワイヤルでの戦いの中で、ヴェスパーとボンドは互いに関係を溶かしあっていく。彼女の恐怖をボンドが和らげ、ボンドの危機を彼女が救う。そうしていくうちに、彼らには仲間意識以上の繋がりが出来ていたのだろう。
だからこそ、ボンドにとってその繋がりが消されるということは、ただ「寝た女」が死んだ以上の意味を彼にもたらした。
軽薄でお調子者のような彼だが、任務ではそんな様子はない。無論、どのように遂行するかには彼の性格は出るだろうが、彼なりのやり方で真面目に仕事をこなしていた。つまり、そこにボンドの感情などない。ただ、「007」ジェームズ・ボンドを演じる彼がいるのだ。
「慰めの報酬」では違う。彼の振り下ろす拳は何処か熱がこもり、行き場のない意志を感じた。彼女を失った感情と、一方で彼の演じ続けるボンドが。ぶつかり合っていたのかもしれない。
そんな彼の前に現れたのは、敵の将軍に復讐しようとする女性、カミーユだった(女みたいな名前だが、実際に女なので問題ない)。
彼女との出会いは、彼に変化をもたらした。
彼が復讐すべき相手を見つけても、彼は手を下さなかった。
一度は辞めたMI6を、ボンドは「いつ辞めたと言った」とそのまま続投する。
彼は孤独である。
彼は愛する女を失っても、戦い続けるしかない。
誰の為でもない、女王陛下の臣民(サブジェクト)として。
刹那主義でありながら、彼は永遠に「ジェームズ・ボンド」でしかない。
復讐に身を投じたとしても、カミーユを越してみた「復讐」の報酬は、彼に何の変化ももたらさなかった。
彼の復讐心だけ、たった一つの慰みすら、彼がボンドであり続けるという報酬しか与えなかった。
そんなボンドの姿は、「慰みの報酬」の最後の彼の後ろ姿は、どこか寂しい背中だった。
こうしてみて、ジェームズ・ボンドの人を引き寄せ続ける(キャラクターとして)理由が少しわかった気がしました。
魅力的すぎる。殺し屋、諜報員でありながら、人間らしく、けれど非人間的で。
これだけでたくさんのモチーフが出てくるわ。
あと、「カジノ・ロワイヤル」を見てて感じたのが、「敵がかなり俗世的と言うか、弱そう」というところ。
悪役特有のオーラにかけているというか。もちろん、カジノのシーンは迫力あったけれど。
しかし、それはそれでよかったなと思った。と言うのも、ボンドvsル・シッフルは人間同士の戦いのようで手に汗が握った。
これが圧倒的な能力のある敵だったらそうもいかない。ル・シッフルが天才的な人間でしかなかったからこそ、この迫力が生まれたのだろう。
007はまだまだ語り足りないけれど、一先ずこれぐらいに。
続いて「ドラゴン・タトゥーの女」。
まさかのダニエル・クレイグ。自分、映画借りるとき役者とか本当に気にしないんですが、まさかのダニエルかぶりでダニエル祭りになってしまいました。
「ダニエルとダニエル、ダニエルが被ってしまったなあ」
と孤独のグルメ状態。
それは置いておいて、映画の感想。
007とは一転して、純正ミステリーの雰囲気。
ことが真相に迫るにしたがってどんどんと神経が張り巡らされていく。
呼吸一つするのもおっくうになるほどの空気の重量感。見ていて窒息するのかと思った。
しかし、この作品の本当の見どころは、「性愛」「本能」である。
冒頭からまさかの主人公ミカエルの不倫話アンド性癖暴露。なんじゃこれ。クンニ好きなのかよと。
物語がすすみ、ミカエルがとある豪族の一人の少女の事件を追う中、もう一人の主人公リスベットに不穏な空気が。彼女は精神病院に入院歴があり、生活保護を受けている。さらに後見人が脳溢血で倒れ、彼女は財政的に厳しい状況に。
その中で、彼女は弁護士(のような男)にフェラを迫られ、挙句レイプされる。
ミカエルは事件を追う中で別の事件との関連を見つける。それは女性の連続猟奇殺人。獣姦や娼婦と言ったことばがその事件との関連を示す、聖書の引用とともに、ミカエルは真相に迫る。
その途中で、ミカエルとリスベットは協力関係になる。そして、彼が何ものかに狙撃された日、ミカエルとリスベットは肉体関係を結ぶ。
やがて事件を解決し、クリスマスの近いある日、彼女はミカエルと会えるかと切り出す。彼はその日は娘に会うと言って断った。
だが、クリスマス当日、リスベットが見たのは、ミカエルと不倫相手の女性が並んで歩く姿であった。
お世辞にもまともな成育環境になかった彼女に、初めてできた友人。彼女はその友人へのプレゼントを捨て、彼とは逆方向へと去っていく。
という、控えめに言ってミカエルがクソ男なだけの物語なのですが、その中で犯人はこういうんです。
「なぜ本能から目を背けるんだ」
しかしミカエル、本能から全然目を背けてません。下半身に従って生きてます。そもそも事件を追うのも、自分の失敗を払拭したいから。これも本能のままと言えますねえ。
犯人から指摘されながらも、ミカエルは自分のことを何とも思ってません。誰しもが、「自分は本能のままに生きてなどいない」と思っていながら、その行動は本能のままなのかもしれない。けれど、誰も認識しようとしない。認めようとしない。
物語を通して、情事のシーンが多くて、自分はちょっとうんざりでしたが、しかし、犯人のセリフを聞いてから、それらのシーンは必要なものに様変わりしていきました。
見る前と見た後で、様々なシーンの意味合いが一気に塗り替わる。それがとても衝撃的で、面白かったです。
だからこそ、この物語は「ドラゴン・タトゥーの女」を通してみた物語、映画だったのかもしれません。
ただし、濡れ場でモザイク使うのやめろ!!!!!
くっそ面白すぎて腹痛くなるだろ!!!!!!
それさえなければ、シリアスでいい映画でした。
以上、今日見た映画三本の感想です。
ダニエル・クレイグがクズ男だってわかりました(ひどい風評被害
今夜と明日で、あと3本ほど見る予定ですの。
それでは。