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もるげん3分前

もるげんれえてとそのサークル「Horizont」のスペース。宣伝の他に呼んだ本や映画の感想を書き捨てる場所。pixiv→http://www.pixiv.net/member.php?id=270447、ツイッター→https://twitter.com/morghenrate

色彩を巡る人々の話(FGO最終章感想)

FGO Fate/Grand order 感想

Fate/Grand Order

その最終章クリアしました。

iOS版リリースからほぼやり続けていました(月見~本能寺辺りまでネットワーク最悪だったのと私生活が忙しくてやれていなかった)。

なので、第一部が終わるというのがなかなか感慨深いです。

そんな感想の書き散らし上げていきます。

ついでに見て行ってくれるとうれしい(ていうか共感したい

にわかだけど許してね!

 

 

FGOは最初ははっきり言ってクソゲーだった。

これはどうしようもない事実だし、自分は今でもそう思っている。

この感想が、多くの人の反感を買うのは承知だけれども、しかし、あの一番最初の頃の劣悪な環境は、Fateシリーズでなかったならダウンロードして即アンインストールしていたかもしれない程に、とにかくつらかったのだ。いやマジで。

だから、FGOが最初期に生き残れたのはとにかくFateシリーズの一端だったからという他ない、と僕は思っている。これには当時から楽しく遊んでいた人たちには申し訳ないけれど、僕は本当にそう思っていた。Fateじゃなきゃ、絶対遊んでいなかった。

今でもゲームシステムは最高だとは思っていない。けれど、運営は頑張ってインターフェイスを改良し、鯖を強化し、ゲームをより快適にしてきてくれた。

そこには運営が提供する、良質なキャラクターたちがいるのだ。その為に、多くの人が身を粉にして(文字通り、粉骨砕身で)運営に貢いできたのだ。

シナリオも、最初こそ普通のソシャゲレベルかなと思っていた。

しかし、時が経つにつれてそれは変わっていく。

恐ろしいほどに、良質化していく。

そもそもライター陣営はプロばかり。彼らが本気を出せば、それこそ一大潮流を作りだしたタイトルの末裔なのだ。他のソシャゲを凌駕し得るシナリオになっていく。

すこしずつ、確実にFGOは「Fateシリーズの後光」に与るだけではなくなっていく。Fate/Grand Orderというタイトルで昇り上がっていく。

 

それは、この一年間、運営と遊んでいた人たちの成長の歴史だ。

あの劣悪な環境だったからこそ、今のFGOがどれだけ進んで来たか分かる。

その最中、沢山の問題があったけれど、運営は頑張ってきたのだ。

それに応えるようにプレイヤーも課金する(それはどうなのかなって思ったりもするが、金を落す手段がこれなのだから仕方ない。ガチャじゃなくてキャラ確定にしてほしいのだが、それは別の話)。

今、今日という日、この終わりを迎えた場所に立って見下ろすと、それまでの道程は今日に至るに必要な過程だったのだ。

沢山の障害を超えて、フィナーレへと至るために。

問題が困難であればあるほど、終局の頂は険しく高くなり、一望は美しくなる。

私たちの今日までの積み重ねがあったからこそ、この終わりは本当に輝いたのだ。

 

その道程は、決して私たちと運営だけのものではない。

プレイヤーという名のマスターと彼、彼女に繋がるサーヴァントたち、無数に立ちはだかった敵の数々。何よりも、マスター(私たち)を支援してくれた、カルデアのロマンとダ・ヴィンチ、そして、旅の隣に居続けた、マシュ。

全てとの邂逅が、この繋がるの最果てへと繋がる。

プロローグの、旅の始まり。

第一章の、聖女とその嘆き。

第二章の、皇帝と運命の闘争。

第三章の、海賊と冒険劇。

第四章の、ロンドン活劇と反逆の騎士。

第五章の、鋼鉄の天使とのアメリカ縦断。

第六章の、一人の騎士の忠誠。

第七章の、王と共に神との戦い。

全てが、マスターとマシュの心の中で息づいている。

この旅に出てきたのは、全て人間と、「英霊」という名の人間。

死と生を巡る物語。

必死に生きようとする物語。

諦観に抗う物語。

マスターたちが立つのは、いつだって抗う側。

之を是とはせず。最善は彼方にあり。そう信じて戦うのだ。

マスターは、僕たちは戦ってきたのだ。

その旅の終点に、数多の英霊が集う。

その瞬間、涙を禁じ得なかった人はいないはずだ。

だって、これまでの全てが本当に無意味でなかったのだ。いや、時代を修正した所で意味はあった。マスターとマシュの行動には意味があった。未来へと、繋ぐ任務を果たした。

ならば、その光景は、それ以上の価値を持っていた。

味方として、敵として、肩を並べ、剣を交えた者たちが、そのすべての英霊たちが、終わりを是とすることなく、集う。マスターの為、いや、ただ生きるため。人類が、生きることを是とするため。死を是とするため。御旗の下に集まる。

王道だが、だからこそ、この感動を言葉にしえない。無量となって溢れる心地。

まさに最終章に相応しい展開だった。

ただ、無心で戦った。

……バルバトスさん、もうちょっと頑張ってほしかった

 

最終章の始まりも素晴らしかったけれど、その後も素晴らしかった。

シナリオもそうだし、イベント戦闘シーンとかもよかった。

ボス戦自体も、何とかクリアできるだろうが、令呪を切りたくなるほどの強さ、そして令呪を使う心地良さが溢れていた。

今までの全てのFGOの、最高峰だった。全ての培ってきたものを、ここに与えられた。

そんな清々しさ。

 

ソロモンの産み出した魔神、それを統べた式、ゲーティア。人類悪の1。

それとの戦いは本当に胸が躍る。

彼は言う。人は有限であるがゆえに不完全で無意味だと。

死があるゆえに、悲しみ、苦しみ、憎まねばならない。

けれども、マスター(私たち)とマシュは知っている。

終わりがあるからこそ、生命は輝く。

終わるその日まで、走ることができるから。終わりがあるからこそ、今日という日を戦うことができるから。終わりがあるからこそ、明日を祈り、昨日を尊び、今日という日に生きることができるから。

終わるからこそ、その死を悼み、背負っていくことができる。

その重みが、人を人にする。

完全無欠の力を誇るゲーティアに、ソロモンの人間たるロマンが下した宝具は、人であるがゆえに行える業だった。

彼が十年という短くも長い歳月、必死に生き抜いたからこそ、覚悟を決めることができた。ただ命をおしいと思うのではなく、人に繋いでゆくこと。己の力で、誰かに希望を託していくことは人の身に与えられた特権。

人の死を悲しく、苦しく思うからこそ、その感情は故人を抱いて昇華される。

ゲーティアが行うのは、その消滅。人類が紡ぐ、死を思うことの消失。

ただ生きるだけの世界に、意味なんてない。

システムでしかなかったソロモンが人間となり、彼は己の死と引き換えに希望を託す。

ただ死ぬのではない。死んで、繋ぐ。

ソロモンであるロマンの、下した人間としての判断は、あまりにもロマンにあふれている。

 

ゲーティアが打ち破られることで、彼らに群集団としての力が失せていった。

それは群れが個になるということ。強大であった1が、弱小な1に還っていく。

ゲーティアはその最中で、終わりを悟り、失敗を理解しながら、無意味であると知りながらも、マスターに最期の戦いを挑む。

「人王」ゲーティアとして。

死の恐ろしさに震えながら、ただなさねばならないと、その恐怖に打ち勝つ姿は、まさしく気高い人の姿だった。

最後の戦いは、要らない戦いだ。無意味で無価値で、何も残らない戦いなのだ。

けれども、だからこそ彼らには、僕たちには必要な戦いだ。

ただ全力で、憎しみも喜びもなく、死力を尽くして彼と戦うこと。

無意味だからこそ美しく、無価値だからこそ気高い。

そこにはただのゲームを超えて、ゲーティアと語り合う僕たちの姿がある。

全力のパーティーで、全力のサーヴァントで、全力の魔術礼装で。

ただただ、戦うことの無意味さ、美しさ。それがそこにあった。

魔神から唯人となったゲーティア。

彼の戦闘モーションは黄金に輝き、美しく、儚い。

 

グランド・オーダーという巡礼。

その旅の友である、マシュ・キリエライト。

短命の彼女と共にめぐったこの旅を、多くのマスターは忘れないだろう。

だからこそ、彼女の生き様はあまりにも儚く、切なく、色彩を伴って目に映るのだ。

色彩――この歌詞に、彼女の人生は例えられる。

数多の人によって知られていることだ。

それは僕のすることじゃない。

ただ、僕は彼女を、そしてロマンを別の歌詞の例える。

angelaの「愛すること」。

二人とも、無色の中に生まれた。

マシュはデザインベイビーとして。ロマンはソロモンから何もかもを奪った果ての人間として。

二人とも、その始まりは何もなかった。ロマンには、ただ漠然とした不安だけが残って。

 

「愛すること分からなくて」

「守りたいって何だろう」

 

そんな彼らに、「愛」など解るはずもなかったであろう。人格は形成されても、愛の意味を理解し得るとは思えない。

だから、彼らに「愛」を与えたのは、他ならないマスター。

いや、マスターと、彼らの巡礼。

七度の旅を経て、マスターとの繋がりと共に、世界をマシュとロマンは描いていく。

希望、勇気、友情、愛、憎悪、憐憫、憤怒、さまざまな色。感情。

感情は、様々な変化を伴って、彼らすら変えていく。

気付けば、彼らの心には「愛」が宿っていた。

 

「愛すること知った時に」

「守りたいと決めたように」

 

だが、彼らは知っている。

この戦いの終わりまで、自分たちが生きられないこと。

その先に自分たちが続いていくことはない。

口惜しく、残念に思っても、けれども、彼らの心にあるのは、ただ、進もうと、生きようと、生き抜けようとする心。

人々の営みの先にある未来を思い、愛する心。

大事な人に繋いでいきたい愛。

 

「君に会いたい」

 

最後の瞬間まで、彼らは思わなかっただろうか。

その行動に、一切の後悔などなかっただろうか。

僕は、在ったと思う。

なぜならば、彼らは人間だ。

遺す人に残念と後悔を抱くのは当たり前だ。

あの猛烈な極光の中で。

全てを神に還す業の中で。

そう思って当たり前だ。生きるってことは、そう言うことなのだから。

生きたいと思うからこそ、人間は生きることができる。

そして、だからこそ、そうやって少しばかりの後悔を、残念を抱くからこそ彼らの心はより強固に、星光のように輝く。

何故ならば――その後悔こそが、愛なのだから。

たとえ後悔を抱いたとしても、その後悔が愛を抱きしめて、城の壁はより強固に防ぐ。

残念を抱いたとしても、だからこそ、「心がここにある」のだ。

 

「ひとつ、ありがとう」

「ふたつ、さようなら」

 

それが、彼らの全て。

 

ちょっとこじつけがましいが、しかし、彼らの愛について考えれば、自然とこの歌詞に辿り着く。

誰かのための愛ではなく、ただ心の内から溢れる、無償の、無色の、そして色彩に彩られた愛。

FGOはその愛の物語。

そんなふうに思った。

 

 

ただとにかく、この最終章は、掛け値なしに素晴らしかった。

一つ一つのキャラクターの色が融け合い、巨大なカンパスに紋様を描いた、

まさに、そんなお話だった。

感無量、を久々に味わった。

この感動は全てのシナリオを通したからこそ、得られる感情だろう。

ただ、ありがとう。

本当に良かった。