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もるげん3分前

もるげんれえてとそのサークル「Horizont」のスペース。宣伝の他に呼んだ本や映画の感想を書き捨てる場所。pixiv→http://www.pixiv.net/member.php?id=270447、ツイッター→https://twitter.com/morghenrate

ならず者たちの物語

映画感想 ローグ・ワン

年明けのテストが終わったので、前々から見ようと思っていた「ローグ・ワン」を見てきました。

一言でいうと

 

「最高」

 

でした。

いやもう、アドレナリンでまくりで、ここまで興奮したのは何以来だろう。

楽園追放かな。フューリーロードかな。

とにかく、もう久々にテンションあがりっぱなしでしたよ!

去年に見ていたら、去年一面白かった映画になってた。

それぐらいに、もう、最高(語彙力

 

 

「遥か昔、遠い銀河系で」

いつもの文句で始まったけれども、いつもの「黄色い文字が宇宙空間にドーン!」ではない。

帝国軍の宇宙船が、とある惑星に降り立って始まる物語。

船から降りてきた帝国の提督が、主人公の父親を勧誘する所から始まる。

父親はもちろんその気などなく、娘(主人公ジン)を逃す。

彼は帝国軍に連れて行かれてしまう。

それ自体はよくある。さて、ここから主人公はどんな風に成長していくのかな?

いつものなら、娘と一緒に逃げた将軍が彼女を育てるのかな?

と思ったら、まさかの囚人スタート。

これにはびっくり。

さらに助けた同盟軍の兵士にキックのお返し。

さらにびっくり。

元気がいいとかじゃない、はねっ返りである。

一応、SWシリーズは全部(7も)見ているんですが、この始まり方にはいささか驚いた。

でも、この時点で「ローグ・ワン」は声高に「いままでのSWとは違うぜ!」と叫んでいるようにも感じた。もはや、ただのSWではない映画だという予感に満ちていた。

ていうか、今回メインの敵が提督っていう、戦闘力皆無なやつなのもかなり異色。

中盤から、もう、このオーソン提督の小物感が可愛い。

自分の失敗をどうにかしようと奔走しているのが、SWの敵役にしてはカリスマ性に欠けすぎていて、見ているこっちがハラハラするぐらい。

ベイダー卿との謁見とか、「がんばれー!」って心の中で応援しちゃってました。

敵も異色ながら、今回の主人公も味方も異色。

主人公のジンは敵の巨大兵器を作った父親を持ち、一人で戦い続けてきた、その運命を背負わされた女性。父親が敵にいるというのはルークとかにも通じるが、父親はあくまで帝国に従わされているだけで、なおかつ彼女自身には何の力もない。

その相棒として戦うのがキャシアン。同盟軍の情報部の兵士。同盟軍のために暗殺や破壊工作も行ってきた。

途中で合流するチアルートとベイズは故郷を帝国に滅ぼされる。

帝国を裏切ったパイロット、ボーディ。

そしてK-2SOは帝国性のアンドロイドをリプログラミングしたもの。

この面子は今までのSWとは違う。

誰もが、帰る場所を失っている。

誰もが、彼らを信じるべき根拠のない人々。

正道を行く者たちから除け者にされた、ならず者たちの集まり。

Rogueたちなのだ。

それでも、彼らは彼らなりの生きるべき方向性を見つけていく。

キャシアンは同盟軍のために。

チアルートとベイズは信じるべきフォースのために。

ボーディは託された言葉に従うために。

そして、ジンは父親の意思を継いでいくために。

彼らは同盟軍から許可されない戦いに赴く。

生きては帰ってこれないだろうと、圧倒的な戦力差を前にすることになる最後の戦い。

同盟軍からも除け者になって、しかしなお、戦いに行く彼らには忽然と、目の前に光る希望が、フォースがある。

その引力はやがて巨大な力となって敵と対峙していく。

彼らの行いに感化された将軍が艦隊を率いて、敵地を強襲する。

しかし、シールドに囲われた敵の本拠地、絶望的な数の差、絶体絶命の窮地。

次々と倒れていく仲間たち。

明らかに生きて帰ることは不可能であった。

それでもなお彼らが戦い続けるのは、希望の為であった。

ならず者であるからこそ、正道から外れたからこそ、失うものがなにもないからこそ、必死になって、最後まで戦い続けることができた。

やがて、この希望を繋いでくれるものがいることを信じて。

 

「誰かに届いたかな」

 

ジンのこのセリフこそが、この映画の真髄である。

届いたデータを、別の兵士がディスクに収める。

しかし、そこに現れたベイダー卿

一般の兵士たちでは為す術もなく倒されていく。脱出艇はまだ発進できない。

迫り来るダースベイダーに、兵士は僅かに空いた扉の向こう側へ、ディスクを託す。

このシーンこそ、ローグ・ワンという映画だ。

この「ローグ・ワン」は、ヒーローの物語ではない。

絶対にヒーローになり得ない。脇役たちの、モブたちの、Rogueたちの映画であり物語。

ヒーローがやがて活躍するための物語をお膳立てするための物語。

だからこそ、彼らの生き様は今までのSW以上に生々しく、そして生き生きと写る。

エピソード4で僅かに言及された、その一瞬に散って行った兵士たちの物語なのだ。

だから、これはスターウォーズではない。

スターウォーズの、Rogueなのだ。

スターウォーズではないが、スターウォーズを繋いでいく映画だ。

故に、「Rogue one」。

ならず者の1、ならず者の一人、コールサイン・ローグワン。

希望は死なない。私たちが繋いでいくから。

絶望に瀕死ても輝く、無数の名もなき希望たちの物語。

 

加えて、この映画ではフォースがただの宗教的概念になっていることも一つの特徴だ。

フォースを使える人がいないというのもあるが(個人的にはチアルートはフォースを使えないでほしい)、フォースという言葉が今までのシリーズ以上に具体性のない不安定な言葉で扱われているのだ。

宗教的な言葉だ。観念的で、霧散的な、とらえどころのない言葉。

だからこそ、これがSWシリーズにおいてローグなのだ。

この映画じゃあ、フォースを感じることはできない。

ただ、言葉の余韻としてしかそんざいしない。

余韻しかないから、ローグたちにとって意味を持つ。

具体性がないから、彼らはフォースという言葉に命を預けられる。

フォースの意味がはっきりとしてしまえば、彼ら一人一人にとって違う意味合いになってしまい、それぞれでフォースの意味が喧嘩してしまう。

言葉が意味をあやふやにするからこそ、その言葉は彼らの中で一つの共通項として存在し得るのだ。

絶望的な状況だからこそ、フォースという言葉が希望のように響き、彼らを牽引した。

いままでにはない、フォースを感じられない者たちによる、フォースの物語だったのだ。

 

とまあ、堅苦しく解説じみた感想を述べてきましたが、この映画の面白さはそういうことじゃないんですよ。

映画を見る前から、これがスピンオフで丁度4の前日譚になることは知っていましたよ。だから、予想していたのはもうちょっとこじんまりした物語で、シナリオで攻めてくるのかなと思ってました。

ところがどっこい、後半の怒涛の展開にはアドレナリンが大放出。

まずね、ローグワンたちが攻めていくシーン。これだけでもいい。みんなで同盟軍を離れて戦うっていうシチュエーションでも美味しい。

でも今日はこれだけじゃないんですよ。

そんな彼らに突き動かされた将軍が艦隊を引っ張ってきちゃうんですよ。

これでもう大興奮ですよ。やばいですよ。自分、艦隊戦あるテンションじゃなかったのに、あるって分かったらもう期待しちゃうじゃないですか。

そんな援軍が地上部隊を掩護する高揚感。もう堪らないね。シリーズ4~6の戦闘シーンのいいところ取りみたいで、最高でしたよ。ドッグファイト多めなのも分かっていらっしゃる。

同盟軍が健闘し、何とかして情報を手にするんだけども、デス・スターの登場とかも絶望的でヤバイ。さらには情報を受け取った艦隊が撤退しようとした時に敵の旗艦がハイパースペースから出現したときの圧倒的窮地がもう、凄いとしか言いようがない(展開的に助からないの分かってたけど、ここまで徹底的なのは初めて見た)。

デス・スターのビームで破壊される近くの中、ジンとキャシアンが抱き合っているシーンも、これまたいい。世界の終わりの中、すべてやり果せた二人が見ている光景が少しロマンティック。変にラブロマンスにしなかった辺り素晴らしい(個人的には二人は相棒で恋愛感情はない方がいいと思う)。

そしてそしてそして!最後の最後!

同盟軍の艦隊でデス・スターの設計図を収めたディスクを避難艇に持って行く最中。

不具合で僅かにしか開かなかった扉を開けようと格闘している時。

廊下の向こう側、暗闇の中からあの呼吸音が聞こえてくる。

その暗闇に、浮かび上がる赤いライトセーバー

漆黒の甲冑の如きスーツに包まれた、ダースベイダー。

この演出、本当にダースベイダーのカリスマ性とラスボス感を極限まで演出していて、ベイダー卿の出てくるシーンの為だけでもいいからもう一度劇場へ行きたい気分になる!

ブラスターを構えた同盟軍兵士の絶望が、己のことのように感じられるのだ。

ここからの戦闘シーンは、もう一方的で圧巻。

強い。ひたすらに強い。

ダースベイダーの強さを、延々と見せつけられる。

とにかく、このローグ・ワン、最終戦の素晴らしさが本当に群を抜きんでている。

SWシリーズを見ていても見ていなくても、熱くなること間違いなし。

はっきり言って、今まで見た映画でも五指に入りそうなぐらいに面白かったです。

是非劇場で、この迫力を味わってほしい。

 

 

ちょっと小話というか考察というか。

今日見たローグ・ワンやこの前ブログでも書いた「ファンタスティックビースト」、どちらも有名シリーズのスピンオフものです。

このスピンオフっていうのがローグ・ワンでもファンタビでも上手く使われている所でした。

シリーズものというのは、どうしてもある一定のお約束展開やお約束設定に縛られてしまいます。

それは作者が意図して作ったものもあれば、大昔からの王道として知られる約束事でもあり、一方で作者の癖だったり、無意識に出てきてしまったものだったりもします。

ガンダムであればコロニーVS地球みたいな構図、主人公は少年だったりとか。敵にマスクがいるとか。

こういう約束というのは、それだけでファンにとっては楽しいものでもあったりしますし、作る側にしても安定したクオリティを保証できるシステムでもあります。

一方で、約束が助長になれば、見る側にとってマンネリでありますし、作る側にとっても怠惰の指標であったり、約束から抜け出せなくなる場合もあるのです。

スピンオフというのは、この約束を守りながら打破するバージョンであります。

「このシリーズの設定を生かしながら、しかし、シリーズには関係のない(or関係するだろう)物語」を展開できるのです。

これが何故いいのか。それを示す好例がまさに上記二作品。

SWサーガにはスカイウォーカー一族とジェダイ・シスという設定をどうしても絡めなくてはならない。故に物語は家族への物語となりやすく、家族の内ゲバとも取れたりもします。

ローグ・ワンはその設定を完全に無視できるのが一つの強み。帝国支配下の名もなき戦士たちの物語としてスカイウォーカーもジェダイも関係なく昇華したのです。

ハリポタはハリーとその学園生活、そしてウォルデモートの陰謀を中心に描かれるのでどうしてもマグルの存在は薄くなります。

ファンタビでは逆にノーマジと魔法使いとの確執を、そして今まで描かれなかった別の魔法界を描くことに成功しました。

スピンオフの長所は、「原シリーズの優れた長所をそのままに、それを活かした別ベクトルの物語を展開できる」ことにあります。帝国とその反乱軍の対峙をスカイウォーカーを除いて描くことだってできますし、ファンタビは今までにはない魔法界の可能性を示しました。

ただし、スピンオフの欠点は、それ自体が何度も重ねられるわけではないということ。

回数を重ねれば、その外伝自体が一つのシリーズとなってしまうし、新しい視線で描かれた感動は少しずつ失せていきます。

一長一短。中でもファンタビとローグはこの長所をよく示したいい映画だと思います。

ただし、スターシステムを導入しているマーベル系とかにはこの法則はあまり当てはまらないことも考えておかなきゃいけませんね。

 

スピンオフはこういう点で二次創作に近いですよね。

それぞれの視点で、それぞれの物語が展開される。

良さもあれば、悪さもある。

物事は二面性。

 

 

ところで、ローグの上映前の予告で幾つか面白そうなものがあったので箇条書き。

ドクターストレンジ

パッセンジャー

虐殺器官

 

虐殺器官は絶対見に行くし前売りも買うとして、他の二つも面白そうなんだよなあ……

これからテストで忙しいのに、こんな面白そうな映画ばっかりやりやがって……!

頑張ってみていきたいです。