もるげん3分前

もるげんれえてとそのサークル「Horizont」のスペース。宣伝の他に呼んだ本や映画の感想、最近のこととかを書いていきます。pixiv→http://www.pixiv.net/member.php?id=270447、ツイッター→https://twitter.com/morghenrate

竜とそばかすの姫 ~最近の細田守について~

夏はアニメ映画の収穫シーズンと言っても過言ではない。
例年であればジブリやらドラえもんやらがバンバン流れてくるだろうけれど、今年はあまりなく(マーヤと魔女が今月の末に公開ですね)。
そんな中で、現代日本アニメをけん引する監督の細田守の新作、「竜とそばかすの姫」が公開されましたね。
ここ最近、正直「未来のミライ」は悪くはなかったけれども面白味にかけている感じがあるというか、メインモチーフが小さな子供へ集中していた感があり、やや食傷気味でした。
その中で、電脳空間のSNSという、「時をかける少女」や「サマーウォーズ」のSFよりに戻ったのはちょっと意外でした。正直、またファミリーもので来るかなあ、とか考えていたので。
そういう意味では「原点回帰」に近い意味合いもあると思うのですが、ここ数年は家族モノで腕を磨いた細田監督がどのように映画を魅せてくるか、楽しみな一本でした。
勇み足に、公開翌日に映画館に飛び込んできました。
というわけで久々の映画感想。今回は短めです。

 

竜とそばかすの姫(略して竜そば)の個人的な見どころの一つは先にも述べた「原点回帰」。
つまり、「僕らのウォーゲーム」~「サマーウォーズ」に連なる「SF」と「学生」が中心の物語であること。
もともと細田守は家族(つまり本人との縦の繋がり)を意識して物語とかを構築するけれど、その比重が特にこの数年は重く、「未来のミライ」で顕著だったなあ、というのが個人的な細田観。
私生活的にも結婚して子育てをしていた状況であったということが大きいとは思うけど(創作者って往々にして自身の環境の影響をもろに受けてしまいやすいのだ)、ここにきてまさかの「原点回帰」なのである。
この数年で培った武器をいったん置いておき、また古い刀を取り出したというわけだ。
なので、映画を見る前の個人的な論評は、正直見通せなかった。どうしかけてくるか分からなかったから身構えるしかないのだ。憶測が立たないからこそ、純粋にわくわくもできたわけだ。
 
本編の感想としては、本人も言っていたがまさに細田守版「美女と野獣」だ。
しかし、それは物語前半のプロットでしかなく、全体を見通した場合、現代版にリメイクされた「美女と野獣」という殻に包まれた、「SNSにおける人と人との交流」を中心に描いている。
サマーウォーズのころはまだ未熟であったが、現代ではネット文化は成熟し始め、完璧に「一度もあったことのない知人」というものが存在する世界になっている。自分で作ったプロフィールで他人が作ったプロフィールの他人と出会い、交流するのが当たり前の世界。細田守はこれを描き出した。
電脳空間と現実をCGとそうでないアニメーションで区切って描くのはわかりやすいながらも徹底しているのが心地よい。
正直、このテーマ自体は割と書き古されている。ぱっと作品名などを出すことはできないが、それこそ「文通のみでしか知らない」などのテーマは古典からあり、また「ネットでは有名人」というのもサマーウォーズのカズマ然りだ。
つまり、要素要素を解体していくと、実は竜そばの物語自体は目新しいものではない。しかし、これらを組み合わせたときに、つまり「美女と野獣」のガワに「SNSの仮面」のナカミを構成することでこの映画は全く見たことのないものとなる。
本来SNS(作中ではU)とは仮面をかぶる場所なのに、Uでは潜在的な身体的な特性を引き出すことで”本来”の自分を曝け出すことになる。物語の後半では再びSNSが仮面となるのも、実によくできた構成だ。
テーマという点では実はあまり目新しさはないものの、組み合わせが実に周到である。
 
話の展開もオーソドックスかつ王道なので分かりやすく気持ちよく入り込める。
まあ、SNSでの誹謗中傷や虐待のシーンで反応する人もいるかもしれないし、鈴が父親を止めるシーンで「これで解決するのかよ」と思う人はいるかもしれない。ただ、正直その辺りは「こまけえことはいいんだよ」なのである。
細田守の作品は一貫して「大衆向け」だと思っている。ならば、その細部よりも物語全体の感情的整合性を優先してもよいと思う。
ちなみに、私個人は先のシーンについては「これでいいんだよ」と思っている。あれは彼女が母親同様、見知らぬ他人へと己の身を差し出す愛なのだから、静かに毅然と立ちふさがるだけでよいのだ。
 
家族関連についても、程よい塩梅での構成になっているのがよい。
親は過干渉せず静かに見守り、本人の成長を促しているのだ。
この辺りは精神科的な目線も入ってしまうが、高校生という自立性が高い主人公であれば、親というのはどっしりと構えたバックグラウンド程度の存在、本人の小さな気付かないような行動原理の根源としているだけでよいのかもしれない。
そういう意味でも、「鈴の成長の物語」として本当によくできている。
 
まあ、要素要素を取り出すとこんな感じだけど、個人的には鈴がアンベイルして歌うシーンが本当に映画らしくて、このシーンだけでご飯三杯いけますね。
やはり映画は音楽と構成、シーン割り、光の演出とアニメーションのコンビネーション、そしてそれを極限の集中状態で見れるのが素晴らしいのですよ。
あの一連のシーンは、「よろしくおねがいしまああああああす!!」ほどの強烈さはないものの、手堅い構成力によって構築された、神がかり的なワンシーンだと思います。
 
さて、最後にもるげんから細田守へ一言。
「ケモショタコンなのはわかったけど!!お前は女子高生を描いてくれ!!おれはお前の描くJKが好きなんだよ!!もっと甘酸っぱい恋愛をさせてやれ!!」
 
ルカちゃんとカミシン、すこすこ侍でした。
 
P.S. 合唱隊の声優に森山良子を使ったので+100万もるげんポイント