ソース焼きそばは如何にして生まれたのか ~ソース焼きそばの謎、書評~
お久しぶりです。
月一更新すると言って二ヶ月の月日が流れていました。
そういうところだぞ、もるげん。
言い訳いたしますと、実験して、論文(総論)書いて、発表会の準備して、
気付いたら時間が経っていたわけなのです。
最近では脳が焼かれた傭兵になって、ルビコンの荒野を彷徨っています。
その合間を縫って、最近は積極的に読書に勤しんでいるわけなのです。
色々面白本がある中で、今回は久々に名著であり、奇書な一品に辿り着きました。
その名も
「ソース焼きそばの謎」
まったく、ソース焼きそばにどんな謎があることやら。
今日はこの本の感想を書いていきます。
Amazon.co.jp: ソース焼きそばの謎 (ハヤカワ新書 006) : 塩崎 省吾: 本
新著サイズのソース焼きそば
幼いころ、祭りや縁日ではたくさんの屋台が出てきてました。
りんご飴、綿菓子、水あめ、今川焼、型抜き、大判焼き、金魚すくい、ベイクドモチョモチョ、射的、etcetc……
その中の鉄板として、ソース焼きそばがあります。
焦げたソースの匂い。
薄いプラスチック容器に蓋が浮くほどおさまった大量の麵。
茶色の海に浮かぶ、キャベツの緑と鮮やかな紅ショウガ。
お祭り屋台で買う主食の王道と言って差し支えない、定番の一品ですね。
そんな、あのプラスチック容器に入った姿の焼きそばが、こともあろうか書店で売っている。
そんな見紛う書影に、思わず目を奪われてしまった。
「なんだこいつは」
それが私の第一感想であった。
迷う食指
正直、このタイトルを見て興味を惹かれた。
祭りであっても、あの焦げたソースに惹かれてしまうように。
こんな奇抜な本を、それも真書棚で見かけて手を伸ばさずにはいられなかった。
だが、こんな疑念も浮かぶ。
「新しいレーベルだし、出オチ本かもしれない」
「奇抜なタイトルだけかも」
「ソースは濃い味だけど、こいつは薄味か」
「そもそも、ソース焼きそばに謎なんてあるのか」
そんな疑問が脳裏を過ぎていく。
何度か買うかどうか迷った挙句、あまりにもインパクトのデカい表紙の為に買い物かごに入れてしまった。
だが、結論を言おう。
「こいつは、間違いなく名著だ」
謎はどこにあるのか
さて、最初の疑問であり、タイトルへの疑問である
「ソース焼きそばの謎」
だが、正直、そんななぞはあるのだろうか。
ある。あるのだ(シグルイ風に)
舐めていた。自分の常識を、本書は手痛く指摘するのだ。
そして、その謎を著者の執念で描いていくノンフィクションミステリー。
それが、「ソース焼きそばの謎」である。
これは「銃・病原体・鉄」である
本書はジャレド・ダイアモンドの名著である「銃・病原体・鉄」なのである。
「銃~」の冒頭は筆者がとある原住民から問われた問への答えを探す物語である。
これはとある「定説」に対する疑問から始まる構造だ。
そもそも、焼きそばと言えば全国津々浦々、家庭でも外食でも屋台でも見られる、日本のファストフードの一つである。
その発祥はどこになるのだろうか。
ソース焼きそばの発祥定説への反逆
本書では、その定説として戦後闇市で生まれた「戦後説」がある。
筆者はこれに果敢に反論する。
それだけではない。
ソース焼きそばにまつわる様々な謎が実はたくさんある。
関西と関東の違い、焼うどんとの関係、ソース後掛け文化について……。
これらの謎の探求を目指す中、筆者は前書きにてこのような大胆な仮説を展開する。
だが、この論を聞いたときはそんな馬鹿な、と呟いてしまうことだろう。
そもそも共通点は鉄板と小麦粉とソースくらいなものだ。
何を根拠にすれば、このような論を展開できるのだろうか。
「天もの・鉄道・関税自主権」
そんな無茶な仮説を、筆者は丁寧な取材と膨大な資料から裏付けていく。
どこにでもある食品の成り立ちを調べるというのは、途方もない作業であることだろう。
そんな執念的な取材の果てに、その根拠を組み立てて、筆者はそんな仮説に辿り着いた。
その様はまさに「銃・病原体・鉄」である。
本書風に言うならば、「天もの・鉄道・関税自主権」なのである。
ソース焼きそばの成り立ちに必要な条件を次々に提示し、詰め将棋の如く論を転じていく様に、気付けば私は彼の仮説の信奉者となる。
圧倒的なエビデンスの前には、常識なぞお好み焼きのおかかに等しい。
山盛りエビデンスの味濃い目
本書の美しい点は、大胆な仮説を膨大な証拠から、繊細に組み立て、論証せしめる構造にある。
その主材料などは、ソース焼きそばに人生を捧げたとしか思えない。
ソースには人を狂わせる成分があるのではないかとすら疑う。
ソース焼きそばの科学
その論証のさまは、まさに科学的なのだ。
帰納的に証拠から新たなる事実を探していくのが基本的な論理である。
これはまさに、科学において真理を見つける道程に等しい。
同時に不明点について、それが状況証拠しかないことを断ることもある。
古い文献や記述、証言しかないのだから当然だろう。
その断りをしっかりと入れる謙虚さこそ、科学的と言える。
分からぬものは分からぬ。
その中でここまでは言える。
なかなか、できるものではないのだ。
そう、ソース焼きそばが簡単に作れるが、美味しく作るのにはコツがいるように。
味は濃いけれど、後味さっぱり
本書の読後には奇妙な清涼感がある。
誰しもが一度は食べたことのあるソース焼きそば。
こんな濃い歴史があることは素直な驚きであった。
もしかしたら、身近な料理の数々にはこんな歴史が無数にあるのかもしれない。
そう思いながら今日の食卓を思うと、いつも以上に味わい深い食事となっていた。
毎日の食事に、一つまみの紅ショウガの如き名著であった。
ソース焼きそばの謎感想
出オチ本かと思いきや、割と骨太に楽しめる名著であり、奇書な、素晴らしい一冊でした。
ただし、本書を読むにあたり、一つだけ注意点があります。
新書には珍しく、カラー刷りのペーが多数あります。
数々の美麗なカラー写真で飾られた焼きそばたちが、ページの向こうで待っています。
つまり、深夜に読むこと厳禁、である。