Heaven's Feel 3章感想 ~そして春はゆく~
俺たちは待った。
この3年を焦燥と共に。
瞼の裏に揺らめく黄色い影(シール)、白い影(ブルマ)
もはや追憶は、ガチャと共に爆死の彼方か。
だが、バッドエンドは突然によみがえる。
俺たちが待ち続け、待望し、コロナに裏切られ、しかして希望してようやくこの日が来た。
劇場版Fate/stay night Heaven’s Feel
その第3章、spring song。
映像化不可能と言われたFate最後のシナリオの、最終章である。
この3年間を、この作品のために待ち続けたといっても過言ではない。
その日々がようやく報われるのだ。
ところで、私はその公開初日、普通に仕事で普通に当直でした。
ぬぐうううう、と深夜帯に緊急の患者さんを捌きながら、「明日は観に行く観に行くぞ……!」と自分を鼓舞し
交代の先生が来たと単に脱兎のように病院からダッシュで帰っていきましたとも。
まだ興奮冷め止まぬ中、感想をしたためていきます。
結論から言えば、感想が出てきません(おい
いや、なんというか、まだ自分がHF3章を観終わったという気がしないんです。
ていうか、俺、HF見たっけ?
見ていた気がするんですが、もう、感情が暴走して何が何だか分からないのです。
観終わって、家に帰ってくるまで、何をしていたかわからないし
帰ってきてからも何をしていたかよく覚えていないんです。
無理に思い出そうとすると、なんか動悸もするんですよ。
なんなんすかねこれ。
新手の視覚毒でも盛られたんですかね。
ちょっとまだ自分の中で消化できていないのですが、とりあえず各場面場面で自分が思ったことを箇条書きにて。
・「ーーついてこれるか」
これ、映像的表現とBGMが完全に解釈率100%をぶち超えて1億万点ポイントですよ。もうこのシーンだけでボロボロ泣き崩れましたよ。
赤布を取り去った士郎が、アーチャーを追い越す。そしてその士郎を微笑みで見送るアーチャー。何故微笑むかといえば、それがかつての”士郎”ができなかった道に、士郎が突き進むと決めたことへの祝福なんだろうな。もう、自分のようにはならずに済むと、安心して見送れたんだと思うんですよ。
そしてBGMのアニメUBW主題歌「Believe」からの「エミヤ」。UBWを見ていて、士郎とアーチャーの関係性を分かっているからこそ、このBGMのつながりがなんと狂おしい程の色音で彼を送り出すことか。
射殺す百頭の表現も素晴らしすぎるというか、あっという間の戦闘シーンなのに濃密な描写がこもっている。目にもとまらぬ九連撃と、投影する際の回想。真の投影とは、ただ物体を理解するのではなく、その背後すらも理解し背負うということ。イリヤを背負い、士郎はそれを表現してのけた。
・「私が傷つけ、私が癒す」
HF自体、いくつかの戦闘における名シーンは山ほどある。
だが、そのうちの何が優れたるかと問われた時、その一つにこの綺礼と士郎の共闘だ。
そもそもこのシーン自体、「主人公と仇敵が共闘する」「その仇敵がメインヒロイン(級)を抱えながら脱出する」「言峰綺礼自身、初めてのまともな戦闘」なのである。
この要素、どれをとっても燃えないわけがない展開なのだ。
さて、言峰綺礼という男の戦闘スタイルはFate/Zeroの影響もあり、八極拳の存在感がものすごく大きい。けれど、確かにこの男は八極拳の套路を修めているが、本職は聖職者、元第八秘跡会に所属していた”代行者”なのである。
これまでの戦闘の中で、彼が聖職者としての力を見せるのは、これが最初で最後といっても過言ではない。事実、多くの人がこの一連のシーンを最高の戦闘と語るのだ。対サーヴァント戦において、相性の差はあれど肉体のみで勝った例は少なく、その一人が綺礼なのだから。
一方で、このシーンにおいて彼の妻、クラウディアとの邂逅が語られる。クラウディアは彼が愛することができないという苦悩に対して自らの死で答えを授けようとした。この苦悩、後悔は長らく彼を苦しめ続け、飽くなき探求の中で一つの楔を穿っていた。
「目の前で女に死なれるのは、存外に堪えるぞ」それは、普通の意味とは異なるが、綺礼なりの”後悔”なのだ。
そうやって、彼の苦悩を描き、一方で神への信仰は本物である(洗礼詠唱は信仰心が強い程効力を増し、綺礼は最高クラスの威力を持つ。)。このたった1度の戦闘シーンで、綺礼への歪みを見事に、端的に、そして最後へと繋がるように描いているのだ。
それはそれとして、どうしてもロケランダッシュ神父が脳裏をちらついてしまったのは、私だけではないと思う。
・VSセイバーオルタ
なんか、いきなり場面が飛んでいるような気がするのだが、記憶が定かではないのでもう仕方ない。
ただ、ここからのVSセイバーオルタ、ゼルレリッチ凛、そしてVS言峰綺礼の三連戦はそれぞれがHFを代表する戦いであり、それぞれがあまりにも期待値が高いのだ。
うち、VSセイバーオルタではBADENDのひとつ、「スパークスライナーハイ」があり、これもまた「映像化してほしい」という声が多い。
それはさておき、一方でライダーがメインで戦う戦闘シーンというのもあまり多くなく、Fateルートでベルレフォーンとエクスカリバーのぶつかり合い以外では、これがある意味ライダーさん最大の見せ場であり、映像化では彼女の最初で最後の活躍ともいえよう。
はっきり言って、2章のバーサーカーVSセイバーオルタを大きく上回っていた。予想以上などという言葉では足りない。
オルタの圧倒的な強さもだが、ライダーの高速戦闘が今まで見た度のアニメをも上回っている。ただ「速い」のではない。「駆け抜けて」いるのだ。
髪がなびき、滑空し、軌跡を残しながら梗塞で立ち回る彼女の戦い様は、ただひたすらに息をのむ。
これこそがアニメ化の醍醐味だ。
もはや、これは筆舌に尽くしがたい。
とんでもないアニメーションで叩き伏せられた、と自分では思っている。
もしBDが届いたら、スロー再生でじっくりと見てみたいとすら思う。
そして、ライダーさんの鎖が本当に仕事しているのが、かっこいい。
・ゼルレ凛
凛は、ヒーローである。
常に優雅で、可憐で、圧倒的なのだ。
この一連の凛こそ、遠坂凛のすべてなのだ。
個人的には”虚数”の属性を持つ桜が黒色の力で表現されているのに対し、”アベレージ・ワン”の5元素すべてを持つ凛が虹色で戦うさまは、まさに全力の姉妹喧嘩だった。
だけれども、あの凛とした声色の凛はやはり危うく。
最後の最後でやっぱり”うっかり”をしてしまう。
凛の人気なところは、こんなに完璧な存在なのに、どこまでも不完全な人間だからなんだろう。
そんな彼女だからこそ、UBWでは士郎を導けるのだ。
・「八つ当たり」
この前に桜のシーンがあるけど、ちょっと記憶が定かではないので飛ばします。
だが、このシーンだけは明確に心に刻んだ。
「他者の不幸に幸せを見出す」人間として破綻者だった言峰綺礼が、同じく「自分の幸福を見つけられず他人の幸福しか考えられない」破綻者、衛宮士郎を見続け、共感し、かつての旧敵の面影を偲び、互いに求道する話こそ、Fateなのである。
そして、HFではその破綻者衛宮士郎が、彼より一歩先に人間になってしまう話でもある。
確かに、綺礼としてはアヴェンジャーの誕生こそが、彼の求道の人生において答えを得る目的だった。
だが、この戦いにはただの目的だけではなく、彼自身の全てを賭して衛宮士郎という自分より一歩先んでて人間となってしまった男への、挑戦を叩きこむ瞬間なのだ。
「八つ当たり」この男はそういった。
ただ、それだけで、この戦いにはそれ以上の価値はない。
このシーンだけ、お互いに人間離れした戦いではない。ただ、人となり、ただ打ち込みあう。
思いのたけをただぶつけ合うのだ。
それを見事に、映像にしたのだ。
このシーンを見るために映画館に行ったといっても過言ではない(数行ぶりn回目)
・Heaven’s Feel
泣きますよね。
ボロボロ泣きました。
イリヤの晴れ姿に、士郎の「生きていたい」という慟哭。
イリヤのお姉ちゃんに、涙腺が壊れ果てました。
これ以上、ここは語れません。
・エピローグ
ここでは桜の独白で、静かに時が流れ、凛と二人で世界各地を歩き回る姿が見られる。
その中で二人の距離が少しずつ近づいてゆくのが、その通りに「失われた時を取り戻す」ようだった。
そして、最後に二人が手をつないで花見に足を踏み出していくあの瞬間こそ、間違いなく監督がこのHFで描きたかったものなのだ。
原作では士郎、桜、ライダー、凛の横並びになった後ろ姿で終わるのだが、監督はそうではなく、士郎と桜、二人が手を取り合い、互いに罪と罰と、そして幸せとを背負って生きてゆくことこそが、このHeaven's Feelにおける、二人の答えであると、言いたいのだろう。
生きるということは、苦しみ、喜び、分かち合い、喪い、共に歩くということ。
それが、人間であるということ。
そんな多くの感情を、罪を、背負いながら春はゆく。
Aimerの「春はゆく」が流れて、この物語は幕を閉じる。
あまりにも感想というには乱雑でまとまりがないですが、一先ずはこの辺にて。
ちょっと咀嚼足りないので、また映画館で見直してきます。
みんなも、コロナ対策をしてHFを観よう!