リコリスの花束を
急に春めいた陽気になってきましたね。
自分の勤める病院は6月くらいにならないと冷房が入らないのです。
そして南向きの診察室はよく太陽光を取り込んでくれて、背中に感じます。
じんわりと、にじむように。
この時期のもるげんはあまりの暑さに白衣を投げ捨てています。
ただでさえ脳みそフル回転なのに、オーバーヒートしてしまうそうなのです。
これまでは暖房を入れて白衣も着こまないとやっていられなかったのに。
厚手のスラックスで汗がしみこむと、季節の移り変わりを感じますね。
さて、そんな中で生き返りの通勤の中、音楽を聴いていたらさユりの「花の塔」が流れてきました。
いい曲ですよね。
知らない世界に引っ張ってくれた親友の歌。
まさにリコリス・リコイルのための歌です。
今日は名作アニメ、「リコリス・リコイル」を簡単にですが感想を書いていきます。
ただ、見終えたのが半年前なので一部記憶はあやふやですが。
それでも昨年見たアニメの中ではベストオブベストと言っても過言ではありません。
いいか、お前も見ろ。飛ぶぞ。
突然だが、私は「ガンスリンガーガール」が好きだ。
この作品に触れたときに全身が痺れたね。
美少女と銃。擦れた大人とそれに付き従う少女。絶望的な展開とわずかな希望。
相田先生が織りなすドラマがこれでもかとぶち込まれた、まさに名作漫画である。
近年も一部界隈でガンスリに狂わされる人物が観測されているほどの、魔性の作品なのだ。
ちなみに、そんな相田先生の最新作、明治初期に生き残ってしまった藩士と永遠の命を宿命づけられた少女との歴史剣劇アクション漫画「勇気あるものより散れ」も好評発売中だ。
決断的にドネートするのだ。
ガンスリとの出会いはある意味宿命だったし、自分の性癖を捻じ曲げてくれた素晴らしい作品であった。
ただ、これを超える作品にはなかなか出会えなかった。
ただ銃を持ってアクションをするのではない。
銃を持つ少女という歪さのドラマを私は見たかったのだ。
そうしていたら、とうとう出会ってしまったのだ。
それが、「リコリス・リコイル」である。
リコリス・リコイル(以下リコリコ)についてはもうどこから語ればいいことやら。
戸籍に残らない孤児たちの暗殺部隊「リコリス」が日本の平和を維持する近未来。
その中で任務の失態からたきなが千束と出会い、様々な任務を経て友情をはぐくんでいくというのが簡単なストーリーになる。
まさに、これはガンスリ的なのである。
美少女が銃を持ち殺人を犯しながらも日常を謳歌する。
このアンビバレンツさは素晴らしい。
だが、この作品は決定的にガンスリ的ではないのである。
ガンスリのすばらしさはキャラクターたちの濃厚な、昏く救いようのないドラマである。
また、現実問題ともリンクしたイタリアの南北問題をふんだんに取り込んでいることもアクセントとして心地よい。
一方でリコリコは徹底的にポップである。
千束とたきなが徹底的にイチャイチャするのである。
昏くなりすぎないのである。
また、「リコリス部隊」などの舞台設定を大きく扱わないのもリコリコの強気であり、かつこのアニメを徹底した名作に押し上げている。
この舞台設定を擦らせるだけでも一本のアニメになるというのに、この作品ではほとんど重要視せず、舞台装置としかみなされていない。
徹頭徹尾、千束とたきなをよく見せるためだけにしか使っていないのである。
この決断はなかなかできない。多くの人は設定というものにどうしても拘ってしまう。
だが重要なのは設定ではなく、設定から生み出される展開とドラマである。
SFのギミックはそれ自体ではなくそれによっていかに人間を描き出すかが重要ということと近いだろう。
リコリス・リコイルはガンスリンガーガールを意識して、そしていかに差別化するかを考えられていた。
このような設定の使い方はまさにその結果だろう。
このアニメは銃を持った少女たちの物語ではなく、千束とたきなの物語なのだ。
そして、それを取り巻く大人たちの物語なのだ。
むしろその大人たちはだいぶ湿っぽいんだよな……。そこがいい。
もうちょっと詳しく掘ってみてもいいのだが、それをすると多分徹夜することになる。
なので、今日はここまでとする。
またリコリコを見返したらしっかり感想を書いてみたいものです。
最後にですが、
相田先生の新作、「勇気あるものより散れ」が好評発売中です。
みんな、買おう!応援しよう!アニメ化、しよう!