もるげん3分前

もるげんれえてとそのサークル「Horizont」のスペース。宣伝の他に呼んだ本や映画の感想、最近のこととかを書いていきます。pixiv→http://www.pixiv.net/member.php?id=270447、ツイッター→https://twitter.com/morghenrate

TENET 理解を超える超体験

気付けば季節が変わっていた。

あのうだるような暑さも鳴りを潜め、朝は布団から出るのも難しい程に寒くなっていた。

シャワーだけでは体が冷めてしまうからお風呂を沸かす頻度が増えていった。

そうめんやざるそばよりも、ホイル焼きやきのこがおいしい季節になってきた。

夏には戻らず、ゆっくりと秋を経て、そして冬に至る。

この流れは変わることなく、悠久に続く。

 

時は流れていく。

それはマクロな視点においては一方向的で決して揺るがし得ない絶対の真実である。

けれども、量子力学などのミクロな分野においては時間の流れが決して一方向なものではないということが知られている(自分は物理学が苦手で、この辺りは昔聞きかじったことがある程度です。たしか、カオス理論とかの話かな)。知られてはいるが、それは決してこちら側(マクロ)へ干渉できるようなものではない。

人間が、一般人が観測する範囲において時間の流れは決まっていて、変えられない。

だからこそ、太古より時間の操作というものは人間を魅了してやまないのだ。

神話によって語られるように黄泉帰りなどはその最たる例だ。北欧神話では時間を織る女神がいたり、仏教の解脱もある種、時間からの脱出ともいえるかもしれない。

現代でも、SFを中心にその魅力は変わらずだ。代名詞としての「タイムマシン」「タイムトラベル」は今なおSFとして色あせることのないトピックスだ。

同時、科学が進歩することでタイムトラベルのパラドクスが考察され、物理学的見地からのタイムマシンの否定が起こることもあった。我々の英知が拓けるほど、時間操作は様々な具体性を伴い、同じくらいの様々な矛盾を突き付けてくるのだ。おそらくは、この話だけでも科学論文一本、軽く書けるのではなかろうかという深みだ。

 

どんな形であれ我々を魅了してやまない、この「時間操作」に対して果敢に、そして徹底的に挑んだのが、あのクリストファー・ノーランだ。

インセプション」「インタステラー」「ダンケルク」などの画期的作品を生み出し世に放つこの鬼才が、とうとう「時間」に挑んだのだ。

今回はこの「TENET」を語ってみようと思う。

いつものことながら、ネタバレマシマシで行きますよ。あと、これは「解説」じゃなくて「感想」なので、不明点をそのままにしても面白さの考察を主眼にしてやっていきますので、よろしくね。

 

さて、この映画を最初に見たときの感想ですけど

難解だなあ~~

でした。

ノーラン作品は実は、インセプションをまだ見れていないのですが(お恥ずかしい限り)、バッドマン3部作とインターステラーダンケルクを見てます。インターステラーは超大好きで、半年に1回は観てますね。

それなりにノーラン作品を見てはいますけど、この監督のエラいところは異常なまでの実写へのこだわりと、綿密かつ精密なプロット捌きにあるところですね。

インタステラ―、ダンケルクを代表とするように、ノーラン監督は時間をネタとする作品を作ることに以上に強いのです。

物語は性質上、基本的に一方向に進む矢である。これは現実世界と同じようにページをめくる、文字を読む、映像を流すという動作が一方向にしかできないからこその、表現の限界ともいえる。

ノーランはここを徹底的に破壊しに来る。インターステラーはそれこそ高次元による時間干渉という、物語のキモの部分のみの使用であったが――すでに萌芽を出しているが――ダンケルクにてそれは爆発したのだ。

3つの物語の同時並行展開。まるで編み物の如く絡み合い、ひとつのアートグラフを描き出すさまは感嘆するしかない。見る側に「頑張ってついてきてネ!」と言わんばかりの最低限の説明で描き出される物語を並行して整理するのは、慣れていないと途中で断念してしまうほどの難易度なのだ。

インターステラーが単純な物理宇宙理論(つまり物理学)でぶん殴る映画だとしたら、ダンケルクはその物語の複雑性でぶん殴る映画です。

そして、TENETは物理と複雑性の両方でぶん殴ってくる映画です。今までがアッパー単品とかボディーブロー単品とかで攻めてきてたのに、今回はその両方がガツン!とボディーと顎にキマる感じですね。KOものですよ。

つまり、時間逆行というTENETの技術的メインモチーフを、物理学的見地と物語の構造性に織り交ぜることで一層複雑化し、しかもそれを破綻させることなく仕上げていくノーラン監督の本領発揮と言える映画になったわけです。

初見ですっかり理解できた人はそんなに多くなかったのではないかなと思います。しかしながら、何度も見たいと思わせる魅力を秘めているのは、その複雑性を解明したいと思ってしまうからなのではないかな、と。

 

同時に、ノーラン監督の異常性であり、映画の最大の売りでもある、時間逆行の映像化そのものがこの映画をより複雑にし、たとえシナリオが完全に追えなくとも見る人間を楽しませる映像を提供しているのだ。

ノーラン監督はもはや、異常と言えるレベルで実写映像に拘っている。

例えば、IMAXと呼ばれる最新鋭の映像技術を導入したり。

例えば、デジタル全盛期の今の時代、フィルム撮りに拘りCGを使わなかったり。

例えば、インセプションでは部屋を回転させたいから、回転する部屋作り。

例えば、インターステラーでは一面のトウモロコシ畑を作りたいから500エーカーの畑を1から作ったり(その後、トウモロコシは出荷され利益を出したとか)。

例えば、ダンケルクではIMAXカメラを水没させたりもした。

 

……いや、頭おかしいだろ。

さて、今回のTENETはあの時間逆行シーンはもちろん実写らしい。CGとかじゃないらしい。

その点でこそやはり、ストーリーが置いてけぼりであっても、迫力ある戦闘シーンと見たこともない映像体験で我々を引き込んでいく。

特に主人公と逆行してきた兵士との戦闘シーンなど、本当に見ものだ。あれをどうやって撮ったのかなど、興味が尽きない。

 

ちなみに、この映画の最あたポイント(最も頭がおかしいポイント)は、あの飛行機をぶつけるシーンである。

あれ、ジオラマじゃなくて、本物の飛行機(退役したやつ)をぶつけたらしいですね。

……頭おかしいだろ。

 

その頭のおかしさが、狂ったかのような精密なプロットと映像で見せてくるTENETという映画は、まさに未知の「映画体験」である。

しかしながら、映画として描かれているシナリオは、監督自身が言っているように「スパイ映画」の王道であり、同時に友情を描く映画だ。

未来から来た親友が、まだ見ぬ親友を助けて散っていく物語である。

ニールにとっては終わりであり、主人公にとっては始まりなのだ。

プロットや映像の際が目立つかもしれないが、この映画で描かれている人間模様の美しさは、単純であり、故に輝いて見えるのだ。

 

TENETは1度では観たりない映画である。

是非とも、この映画業界が厳しい環境であるからこそ、なんども足を運んでしゃぶりつくしてほしい作品だ。