もるげん3分前

もるげんれえてとそのサークル「Horizont」のスペース。宣伝の他に呼んだ本や映画の感想、最近のこととかを書いていきます。pixiv→http://www.pixiv.net/member.php?id=270447、ツイッター→https://twitter.com/morghenrate

精神科医もるげんの奮闘記 ~たまには褒められたい?~

日々の業務をこなし、何とかかんとかやっています。
病棟業務を終わらせ、外来を捌き、初診を何とか診ていく。
予想外のことが起こったり、起こらなかったり。
それだけではなく勉強とかもしなくてはならない。家に帰っても気づいたら仕事をしていたり。
比較的平和な精神科とはいえ、わりかし精神的には疲弊するものです。
立て続けにいろんなことが起きれば、なおさらというものです。
今日はそんな、愚痴めいた、あるいは自戒を込めた、もるげんにあった”いいこと”のお話
 
 
さて、まずは医者って思うほど感謝される機会がないんじゃないかなーって思うのです。
まったく感謝されないわけではないのです。日々、患者さんから「ありがとうございます」って言われたり、看護師さんからも「対応ありがとうございます」って言われ、同僚からも「仕事、ありがとうね」と言われます。
ただ、なんと言うかこれってどこか社交辞令っていうか、定形化されたやり取りって感じ、しますよね。
それが悪いといいたいのではなく、言われて嫌な気持ちにはならないですし、どんどん言ってほしいなあと思います。
感謝を述べるっていうのは、決して悪じゃないです。
その感謝の深度の話なのです。
例えば、道端でハンカチを落として拾ってもらった時と、財布を落として拾ってもらった時の感謝って、どうしても微妙に深みが変わるじゃないですか。
薄情者とかではなく、感謝される行動、対象ってどうしてもこちらへ返ってくる利益とかで色眼鏡がついてしまうなっていう話。
なので、日々こうやって感謝されていても、だんだんとその深度が浅くなって、「あーはいはい」って思っちゃうんですよね。
疲れて余裕のないときはなおさら、という訳です。
 
先日、自分がある患者さんを診たときの話です。
その人はとある病院で食思不振などで受診していたのですが、はっきりとした病気はなさそうで「精神的なものかもね」と僕の外来に来ました。
ただ、明らかに「なんだか、変だぞ」と思って採血などで精査をしました。
そしたら、癌が見つかりました。
直ぐに別の治療のできる病院へ送ったわけです。
それから2月くらいして、カルテを見ていたらその人がたまたまうちの病院へ体の問題で入院してたのでちょっと会いに行ったのです。
あまり調子はよさそうではなかったのですが、その人はにこりと笑って「命を救っていただいて、ありがとうございます」と声をかけたのです。
 
医者になってから、常に自分は不全感と無力感と戦っていました。
正直、研修医から今まで、患者さんを救えたなんて思えたことなど1度もないのです。
なぜかといえば、患者さんが良くなってもたいていの場合、上級委の判断であったり、近代医学薬学の進歩のおかげだったり、一番は患者さん自身が持つ自己治癒力のためだなあ、と感じていたのです。
自分じゃなくても大丈夫かもしれなかったし、プロフェッショナリズムや医療システムの観点からみたら、自分じゃなくても良くなっていた、と考えられるほうがずっといいのです。
でも、そうと分かっていても、自分の無力さは絶えず感じますし、どうしようもなかった時などは歯噛みもします。
学生時代、お寺で働いていた時に住職さんから言われた「医者をやってて、一人か二人救えたらいいほうかもね」と言われたのをずっと胸の中に抱えていました。
 
患者さんの、あの感謝の一言で初めて、自分はだれかを救えたんだ、と実感できました。
その方はまだまだ治療の最中ですが、しかし、自分が診察した時が患者さんにとっての分水嶺だったのです。
もし見逃してしまえば、どうなっていたか。確かに自分の存在が、その時の患者さんの流れを変えたと、思うのです。
自分が、生涯で救えるかもしれない一人に出会えたなら、これほど幸いなことはないです。
 
自分はまだまだ医者として未熟ですし、人間としても至らぬ人です。
けれど、この人生で培った業で誰かを救えたなら、医者になった甲斐もあったものだなあと。
そしてよくよく周りを見渡せば、大きくはなくとも小さくたくさんの人たちの”為”と自分の技が使えているのではないかな、とも感じられるようになりました。
大きく変えることはそうそうできないけれど、小さく変えていくことはできる。
きっと、この小さなものの集積が、いずれは大きなものになるのではないかなと。
見えないだけで、自分はたくさんの感謝を受け、またたくさんの感謝を送っているはずなのだ。
 
忘れがちだから、ここらへんでもう一度胸に刻み込んでゆく。
「医者をやって、誰かを救えることは1度か2度くらいしかない」
「けれど、周りにはたくさんの感謝にあふれている」
「その感謝を忘れず、私も感謝を渡していこう」
明日は誰に「ありがとう」を送ろうかな。