コロナワクチンについて思うこと
皆さま、マスクしていますか?
蒸れるし結露で濡れるし肌も荒れし、息苦しい。できれば着けたくないのですが、この時期、私はマスクがないと生きていけません。
そう、花粉です。
花粉が飛ぶ季節になりました。
春の訪れと同時に心を躍らせながら、首元に迫る死神の鎌に怯える、そんな心地なのです。
薬を飲んで点眼と点鼻の薬もしてマスクも着けて初めて人並みの生活が送れます。対策を怠れば鼻水と涙と微熱で人間の形を保っていられなくなります。
2月中旬くらいから5月のゴールデンウィーク終わりくらいまで、もるげんはこんな地獄のような日々が続きます。
1年の4分の1が地獄とか、人生単位でみるとすごい損ですね。
おかげで花見に誘われても必ず悩んでしまいます。
最近、コロナ関連のニュースではワクチンが取沙汰されています。
今までのワクチンと違い、人類史的にも初めてのタイプのワクチン(mRNAワクチン)なのもあり、メディアの関心は高いですね。
一方でメディアの中では不安を煽るかのような報道もあり、医療者の中にはその動きを厳しく見ている人もいます。
今日は自分がワクチンについて思うこととかをつらつらと書いてみようと思います。
一人の医師として、そして振り返ったときに「こんなことを思っていたのか」と残すために書いていきます。
コロナワクチンは超優秀
自分も色々とコロナワクチンの情報は仕入れていますが、総じて言えるのはその効果の高さです。
例えば、この記事(https://news.yahoo.co.jp/articles/80dd6cae3d10e94a415bf2d7afeb7cbee27a2b6f)では死亡、重症化、予防、全てが9割台の効果です。
このデータが何と(未接種群なのか、それとも接種群と以前のデータ比較なのか、オッズ比やハザード比なのか)の比較で意味が変わりますが、それでも9割というのは驚くべき効果です。
大抵の医学研究が最近は「有意差が出たー!」で喜んでいた中、こんな大差をつけて「効果あるよ」と言える結果は本当に素晴らしいと思います。
医学に詳しくない人に説明すると、最近の研究は小さじ1杯の味の変化を研究していた中、唐突にしょうゆ1瓶を鍋にぶち込んでくるイメージです。
そして副作用、有害事象の少なさ、あるいは危険性の低さです。
自分が調べた範囲では他のワクチンとほぼ変わらない、あるいは生ワクチンと比べれば明らかに危険は低いです。
長期間での有害事象は不明ですが、mRNAが速やかに分解されることを考えればほぼ無視できるかと思われます。
そういう意味で本当に優秀なのです。データを見るだけでは「打たない理由がない」のです。
このmRNAワクチン、今までのワクチンと違うのは「設計された」ワクチンなのです。
コロナウィルスのたんぱく質をワクチンであるmRNAを用いて人体内で生産させ、そのたんぱく質で免疫を獲得するという仕組みです。
この仕組みの素晴らしいところは、作るたんぱく質をmRNAでコードすることができるのです。
つまり、たんぱく質の形さえわかれば、どんなワクチンでも作れるのです。
効果があるかどうかは別ですが、理論上ほぼすべてのワクチンが作れると思われます。
保管などの問題はありますが、今後の主力になるのではないかなあ、と思ってます。
HPVワクチンの二の舞になってほしくない
コロナワクチンの報道が出てきたあたりから、医療者はメディアの報道に気を配っています。
なかには自らで情報発信を行う団体も出てきました。「こびナビ(https://covnavi.jp/)」などはそのいい例です。
なぜ医療者がここまでワクチンの報道に対して神経質になっているのか。
それはHPVワクチンをめぐる騒動があったからです。
HPVワクチンはその副反応を疑われる症状で定期接種から中断へと追い込まれました。
最終的にこれはワクチンとの因果関係は証明されていません。
ですが、依然HPVワクチンの接種率は低く、これまでにHPVワクチンを打てなかったが為に4000人が命を落としたと考えられています。
HPVワクチンを巡る騒動には、行政と科学、マスメディアとの力動が強く働いていました。
端的に言えば、マスメディアの先行する報道が、それが科学的か否かを超えて民衆の不安を先導した結果と言えます。
本来であれば情報を収集し、因果関係を調べて最終的な判断を下すべきだったのです。しかし、それが一方的な不安の発露に繋がったため、接種再開は遠く先にまで追いやられてしまったのです。
この一件には公害問題や薬害エイズなどのかつて科学や医療が犯した罪が関わっていると思います。
メディアは医療への不信を抱き、その閉鎖的な体制に疑問を投げかけています。
それ自体は問題ではないのですが、HPVではそれが行き過ぎたために多くの問題になりました。
医療者は、とにかくまたHPVワクチンと同じことになってほしくないのです。だから、その目を光らせています。
余談ですが、メディはもっと医療界の閉鎖的な体制に切り込んでほしいです。
無給医問題とか医局のパワハラとか、診療報酬のせいで人員がカツカツなこととか……。
あと、本当に医者と製薬会社の闇を暴きたいならディオバン事件をもっと国民に向けて報道すべきだったんですけどね。
あれは論文のやや専門的な話題んだから食指が伸びなかったのかなあ。
私たちはどこに声をかけるべきなのか
HPVワクチン騒動を教訓にメディアを監視するのもですが、SNSでは市民の「ワクチン忌避」も問題になっています。
医者がワクチンを勧める話題を書けば食いつき、その逆に医者が市民の反ワクチンへ反論する展開もよく目にします。
個人的にはSNS上での舌戦はそれぞれの自由ですが、それを見ている人はどう思うでしょうか。
私は、こういったやり取りを見るたびに思うことがあります。
言葉を向ける先を見誤ってはならない。
最終的にワクチンを打つか打たないかは個人の判断にゆだねられます。ですが、そのために正しい情報を提供する義務が我々にはあります。
情報は送りますが、しかし、強制はしません。その情報をもとに、市民一人一人に委ねるべきなのです。
ただし、誤った情報を見過ごしていい理由にはなりません。
医療者の多くが誤った情報や過剰なメディアの記事に苦言を呈するのは上記のような理由があります。
ただ、その時に我々はその情報の発信者だけに目を向けてはいけないのです。
大切なのは、そのやり取りを見ている、「ワクチン推進派」でも「反ワクチン派」でもない、中間層の市民です。
はっきり言ってしまえば、反ワクチンの人たちの思考を変えることはできないと思います。無理です。不可能です。
あれ、たぶん妄信の域まで行ってます。
なのでその人たちを説得するのは不可能です。
ですが、その周囲にいる、中立的な人たちは変えられます。
反ワクチン的な、誤った情報を訂正することで正しい情報へのアクセスを容易にできます。
必要なのは、反ワクチンの意思の改革ではなく、善良な市民へ必要な情報を教え、誤った情報を訂正することです。
そのために、医療者や知識者は情報を発信し続けなくてはならないと思います。
少し前に「科学を振りかざす」って言葉がありましたが、なんというかナンセンスだなあと。
科学とはあくまで態度の話です。
事実を疑い、仮説を検証し、実験を重ねて批判して初めて残るものを「真実のようなもの」と言います。
この過程を、科学と称しているだけであり、その結果は別に科学ではないのです。
ですので、科学は真実がよく変わります。常にアップデートを続けていくのです。
我々は「ワクチンが効けばいいなあ」と思っています。ただ、思うような結果が出なければ切り捨てます。今後、ワクチンで良くない結果が出たなら容易にワクチンの推奨を取り下げるでしょう。
反ワクチンとの差の一つは、我々は結論ありきではありません。今ある結論で物事を考え、新たな状況が出れば結論を切り替えていきます。
科学は真実を知りたいだけで、そこから出たものをとりあえず真実と呼んでいるにすぎません。
もし科学を振りかざすなと言われれば、それは妄信でしかありません。
ちょっと真面目過ぎる話でしたが、今自分が思っていることを纏めてみました。
この記事を読み返す時に、こんな時もあったなあと思えるといいですね。