暑さ寒さも彼岸とは言うけれど
逆に三寒四温なわけなので、体調崩さないように気を付けねばね。
そんなわけでお久しぶりです。もるげんです。
4月になって以降、職場環境が激烈に忙しくなり正直色々とエネルギーを吸い取られ消費され気味な日々を送っています。
本当は月に2回はブログ更新したり、いろいろ見た映画の感想を書いたりしたいのですが、いかんせん映画を見る時間そのものも最近はない訳で。
定時17時くらいなのに週の半分くらいは18時とかの退勤が平然とあるので、いやもうそれだけで帰ってきて何かをするという元気が減ってしまうわけです。
小説もちまちま書いてはいるのですが、思うようには進まず。
まあ、一方で精神科医としてはいろいろと勉強になることが山のようにあった半年間でもあったわけで。今度、それを纏めてみようと思います。
題して、「もるげんは精神療法が苦手(仮)」です。
……精神科医なのにこんなことを言っていいのか、みたいな話が出てくるかもしれませんが。
ただ、苦手であって、できないわけではないのです。
現代精神医学は得てして薬物療法が主体となる訳ですが(無論、それも超重要ですし、その恩恵に与る人はたくさんいます)、一方で精神療法的なかかわりが大切になる側面もまだまだある、ともるげんは思っております。
今現在、もるげんが抱いている「精神療法観」というのを纏めてみようかな、という試みであります。
まあ、それはおいおい、来月くらいには書けるかな。
今日、ブログを立ち上げたのはまあ、なんというかざっくばらんに言葉を取りとめもなく並べ立てたくなったから、ですね。
秋になったせいか、はたまたいろいろ疲れすぎたせいか(具体的には当直で3時間くらいしか眠れなかったこととか)、ちょいと心が寂寞な冷たい風で冷えているなあと思っているのです。
こういうご時世で誰かと出会えたり、話したりするのが難しかったり、というのがあるのかな。
あるいは、去年の今頃までは彼女がいたり、というのもあったりか。
孤独であること自体は必要なものだと思います。
常に誰かとともにいる、繋がり続けることはエネルギーを使うわけです。
ふと孤独になることで自分自身のエネルギーを補充しつつ、他人と交わってあいまいになっていた自分の境界線をなぞり直して「ああ、自分はこういう人だなあ」と確認することには、自分自身を確かめる大切な意味があります。
でも、孤立というのは毒です。
孤独は一人でいる状態、孤立は繋がれない状態。
孤独は選択の一つではあるけれど、孤立はそれ以外に選択肢がない。
一人でいたいと一人でいざるを得ない、では全く意味が違うわけですよ。
その辺りは西先生の「社会的処方(
)」とかに良く書いてあります。
コロナの影響もあり、自分は誰かに会うことを律しているのもあるなあ、と。
またいつか、有明の帰りに多くの戦友とお互いの欲望を語り合う、そんな日が来ればよいなと思う、秋の夜長であります。
本当に内容もスカスカですが、まあ、もるげんにも人並みにさみしいと思うことがある、とそんな内容でした。まる。