色彩を巡る人々の話(FGO最終章感想)
その最終章クリアしました。
iOS版リリースからほぼやり続けていました(月見~本能寺辺りまでネットワーク最悪だったのと私生活が忙しくてやれていなかった)。
なので、第一部が終わるというのがなかなか感慨深いです。
そんな感想の書き散らし上げていきます。
ついでに見て行ってくれるとうれしい(ていうか共感したい
にわかだけど許してね!
FGOは最初ははっきり言ってクソゲーだった。
これはどうしようもない事実だし、自分は今でもそう思っている。
この感想が、多くの人の反感を買うのは承知だけれども、しかし、あの一番最初の頃の劣悪な環境は、Fateシリーズでなかったならダウンロードして即アンインストールしていたかもしれない程に、とにかくつらかったのだ。いやマジで。
だから、FGOが最初期に生き残れたのはとにかくFateシリーズの一端だったからという他ない、と僕は思っている。これには当時から楽しく遊んでいた人たちには申し訳ないけれど、僕は本当にそう思っていた。Fateじゃなきゃ、絶対遊んでいなかった。
今でもゲームシステムは最高だとは思っていない。けれど、運営は頑張ってインターフェイスを改良し、鯖を強化し、ゲームをより快適にしてきてくれた。
そこには運営が提供する、良質なキャラクターたちがいるのだ。その為に、多くの人が身を粉にして(文字通り、粉骨砕身で)運営に貢いできたのだ。
シナリオも、最初こそ普通のソシャゲレベルかなと思っていた。
しかし、時が経つにつれてそれは変わっていく。
恐ろしいほどに、良質化していく。
そもそもライター陣営はプロばかり。彼らが本気を出せば、それこそ一大潮流を作りだしたタイトルの末裔なのだ。他のソシャゲを凌駕し得るシナリオになっていく。
すこしずつ、確実にFGOは「Fateシリーズの後光」に与るだけではなくなっていく。Fate/Grand Orderというタイトルで昇り上がっていく。
それは、この一年間、運営と遊んでいた人たちの成長の歴史だ。
あの劣悪な環境だったからこそ、今のFGOがどれだけ進んで来たか分かる。
その最中、沢山の問題があったけれど、運営は頑張ってきたのだ。
それに応えるようにプレイヤーも課金する(それはどうなのかなって思ったりもするが、金を落す手段がこれなのだから仕方ない。ガチャじゃなくてキャラ確定にしてほしいのだが、それは別の話)。
今、今日という日、この終わりを迎えた場所に立って見下ろすと、それまでの道程は今日に至るに必要な過程だったのだ。
沢山の障害を超えて、フィナーレへと至るために。
問題が困難であればあるほど、終局の頂は険しく高くなり、一望は美しくなる。
私たちの今日までの積み重ねがあったからこそ、この終わりは本当に輝いたのだ。
その道程は、決して私たちと運営だけのものではない。
プレイヤーという名のマスターと彼、彼女に繋がるサーヴァントたち、無数に立ちはだかった敵の数々。何よりも、マスター(私たち)を支援してくれた、カルデアのロマンとダ・ヴィンチ、そして、旅の隣に居続けた、マシュ。
全てとの邂逅が、この繋がるの最果てへと繋がる。
プロローグの、旅の始まり。
第一章の、聖女とその嘆き。
第二章の、皇帝と運命の闘争。
第三章の、海賊と冒険劇。
第四章の、ロンドン活劇と反逆の騎士。
第五章の、鋼鉄の天使とのアメリカ縦断。
第六章の、一人の騎士の忠誠。
第七章の、王と共に神との戦い。
全てが、マスターとマシュの心の中で息づいている。
この旅に出てきたのは、全て人間と、「英霊」という名の人間。
死と生を巡る物語。
必死に生きようとする物語。
諦観に抗う物語。
マスターたちが立つのは、いつだって抗う側。
之を是とはせず。最善は彼方にあり。そう信じて戦うのだ。
マスターは、僕たちは戦ってきたのだ。
その旅の終点に、数多の英霊が集う。
その瞬間、涙を禁じ得なかった人はいないはずだ。
だって、これまでの全てが本当に無意味でなかったのだ。いや、時代を修正した所で意味はあった。マスターとマシュの行動には意味があった。未来へと、繋ぐ任務を果たした。
ならば、その光景は、それ以上の価値を持っていた。
味方として、敵として、肩を並べ、剣を交えた者たちが、そのすべての英霊たちが、終わりを是とすることなく、集う。マスターの為、いや、ただ生きるため。人類が、生きることを是とするため。死を是とするため。御旗の下に集まる。
王道だが、だからこそ、この感動を言葉にしえない。無量となって溢れる心地。
まさに最終章に相応しい展開だった。
ただ、無心で戦った。
……バルバトスさん、もうちょっと頑張ってほしかった
最終章の始まりも素晴らしかったけれど、その後も素晴らしかった。
シナリオもそうだし、イベント戦闘シーンとかもよかった。
ボス戦自体も、何とかクリアできるだろうが、令呪を切りたくなるほどの強さ、そして令呪を使う心地良さが溢れていた。
今までの全てのFGOの、最高峰だった。全ての培ってきたものを、ここに与えられた。
そんな清々しさ。
ソロモンの産み出した魔神、それを統べた式、ゲーティア。人類悪の1。
それとの戦いは本当に胸が躍る。
彼は言う。人は有限であるがゆえに不完全で無意味だと。
死があるゆえに、悲しみ、苦しみ、憎まねばならない。
けれども、マスター(私たち)とマシュは知っている。
終わりがあるからこそ、生命は輝く。
終わるその日まで、走ることができるから。終わりがあるからこそ、今日という日を戦うことができるから。終わりがあるからこそ、明日を祈り、昨日を尊び、今日という日に生きることができるから。
終わるからこそ、その死を悼み、背負っていくことができる。
その重みが、人を人にする。
完全無欠の力を誇るゲーティアに、ソロモンの人間たるロマンが下した宝具は、人であるがゆえに行える業だった。
彼が十年という短くも長い歳月、必死に生き抜いたからこそ、覚悟を決めることができた。ただ命をおしいと思うのではなく、人に繋いでゆくこと。己の力で、誰かに希望を託していくことは人の身に与えられた特権。
人の死を悲しく、苦しく思うからこそ、その感情は故人を抱いて昇華される。
ゲーティアが行うのは、その消滅。人類が紡ぐ、死を思うことの消失。
ただ生きるだけの世界に、意味なんてない。
システムでしかなかったソロモンが人間となり、彼は己の死と引き換えに希望を託す。
ただ死ぬのではない。死んで、繋ぐ。
ソロモンであるロマンの、下した人間としての判断は、あまりにもロマンにあふれている。
ゲーティアが打ち破られることで、彼らに群集団としての力が失せていった。
それは群れが個になるということ。強大であった1が、弱小な1に還っていく。
ゲーティアはその最中で、終わりを悟り、失敗を理解しながら、無意味であると知りながらも、マスターに最期の戦いを挑む。
「人王」ゲーティアとして。
死の恐ろしさに震えながら、ただなさねばならないと、その恐怖に打ち勝つ姿は、まさしく気高い人の姿だった。
最後の戦いは、要らない戦いだ。無意味で無価値で、何も残らない戦いなのだ。
けれども、だからこそ彼らには、僕たちには必要な戦いだ。
ただ全力で、憎しみも喜びもなく、死力を尽くして彼と戦うこと。
無意味だからこそ美しく、無価値だからこそ気高い。
そこにはただのゲームを超えて、ゲーティアと語り合う僕たちの姿がある。
全力のパーティーで、全力のサーヴァントで、全力の魔術礼装で。
ただただ、戦うことの無意味さ、美しさ。それがそこにあった。
魔神から唯人となったゲーティア。
彼の戦闘モーションは黄金に輝き、美しく、儚い。
グランド・オーダーという巡礼。
その旅の友である、マシュ・キリエライト。
短命の彼女と共にめぐったこの旅を、多くのマスターは忘れないだろう。
だからこそ、彼女の生き様はあまりにも儚く、切なく、色彩を伴って目に映るのだ。
色彩――この歌詞に、彼女の人生は例えられる。
数多の人によって知られていることだ。
それは僕のすることじゃない。
ただ、僕は彼女を、そしてロマンを別の歌詞の例える。
angelaの「愛すること」。
二人とも、無色の中に生まれた。
マシュはデザインベイビーとして。ロマンはソロモンから何もかもを奪った果ての人間として。
二人とも、その始まりは何もなかった。ロマンには、ただ漠然とした不安だけが残って。
「愛すること分からなくて」
「守りたいって何だろう」
そんな彼らに、「愛」など解るはずもなかったであろう。人格は形成されても、愛の意味を理解し得るとは思えない。
だから、彼らに「愛」を与えたのは、他ならないマスター。
いや、マスターと、彼らの巡礼。
七度の旅を経て、マスターとの繋がりと共に、世界をマシュとロマンは描いていく。
希望、勇気、友情、愛、憎悪、憐憫、憤怒、さまざまな色。感情。
感情は、様々な変化を伴って、彼らすら変えていく。
気付けば、彼らの心には「愛」が宿っていた。
「愛すること知った時に」
「守りたいと決めたように」
だが、彼らは知っている。
この戦いの終わりまで、自分たちが生きられないこと。
その先に自分たちが続いていくことはない。
口惜しく、残念に思っても、けれども、彼らの心にあるのは、ただ、進もうと、生きようと、生き抜けようとする心。
人々の営みの先にある未来を思い、愛する心。
大事な人に繋いでいきたい愛。
「君に会いたい」
最後の瞬間まで、彼らは思わなかっただろうか。
その行動に、一切の後悔などなかっただろうか。
僕は、在ったと思う。
なぜならば、彼らは人間だ。
遺す人に残念と後悔を抱くのは当たり前だ。
あの猛烈な極光の中で。
全てを神に還す業の中で。
そう思って当たり前だ。生きるってことは、そう言うことなのだから。
生きたいと思うからこそ、人間は生きることができる。
そして、だからこそ、そうやって少しばかりの後悔を、残念を抱くからこそ彼らの心はより強固に、星光のように輝く。
何故ならば――その後悔こそが、愛なのだから。
たとえ後悔を抱いたとしても、その後悔が愛を抱きしめて、城の壁はより強固に防ぐ。
残念を抱いたとしても、だからこそ、「心がここにある」のだ。
「ひとつ、ありがとう」
「ふたつ、さようなら」
それが、彼らの全て。
ちょっとこじつけがましいが、しかし、彼らの愛について考えれば、自然とこの歌詞に辿り着く。
誰かのための愛ではなく、ただ心の内から溢れる、無償の、無色の、そして色彩に彩られた愛。
FGOはその愛の物語。
そんなふうに思った。
ただとにかく、この最終章は、掛け値なしに素晴らしかった。
一つ一つのキャラクターの色が融け合い、巨大なカンパスに紋様を描いた、
まさに、そんなお話だった。
感無量、を久々に味わった。
この感動は全てのシナリオを通したからこそ、得られる感情だろう。
ただ、ありがとう。
本当に良かった。